手島圭三郎の経歴
「 」内は手島先生自身の回想によるものです
1935 年(昭和 10 年)|紋別市元紋別での生誕
元紋別駅の国鉄官舎で4人兄弟の末っ子として生まれる。国鉄職員だった父は7回転勤するが、勤務地はいずれもオホーツク管内の村か集落だった。この元紋別勤務が一番長く、家族で 10 年間暮らし、手島はこの浜辺の集落で4歳まで過ごす。
1939 年(昭和 14 年)|丸瀬布村の原風景
「父の転勤に伴い転居。大自然に囲まれた丸瀬布での少年時代、昆虫や魚、鳥を眺め追いかける[孤独な遊び]に没頭する。画家として孤独な条件に耐え、北海道の自然や動物をモデルに表現できるのも、この時の体験から生まれたものだ。」
「小学校への入学を控えた頃、学校へ行くのが猛烈に嫌だったのを覚えている。家の中で絵を描いたり工作をしたりすることが大好きで、遊び相手は兄姉3人で十分だった。[どこへも行きたくない]という気持ちは、いまも自身の性格の大きな部分を占めており、自分の力だけでもの創りを職業にする人間にとっては、むしろ大切な[才能(条件)]であると思う。」
「一人、神経を研ぎ澄ませて絵を描いていると、列車が通過する音や軽便鉄道の甲高い汽笛、近くの木工場から響く丸鋸の音、家の前を駆けていく子どもの声、柱時計の刻む音が、まるで頭の上を通り過ぎていくように感じられた。そんな中、[絵だけは誰にも負けない]という強い自負が精神的な支えとなり、多感な時期もブレることなく、目標を見据えて過ごすことができた。」
1951 年(昭和 26 年)|恩師との出会いと美術教師への道
北海道立紋別高校へ入学。そこで恩師に絵の才能を見出されたことをきっかけに、働きながら画業を磨き続けられる道として、中学の美術教師を志す。
1958 年(昭和 33 年)|美術教師へ
札幌芸術大学(現・北海道教育大学札幌校)を卒業。念願の美術教師となり、中学校で教えながら自身の制作を続ける。
1968 年(昭和 43 年)|長い迷いからの覚醒
石狩管内の当別町中小屋中学校に赴任して 3 年目の冬。自身の画風に深く悩んでいたある朝、決定的な転機が訪れる。
「今までにないはっきりした形と鋭さ、強さのあるフォルムをもつ『顔を探す天使』を制作している冬の日曜日。風邪をひいた娘の薬を買いに行くため、仕事を中断して雪の降る道を 1.5 キロほど歩いた。灰色の空から大粒の雪がゆらゆらと落ちてくるのを見上げているうち、自分の体がゆっくりと空へ持ち上げられていくような錯覚を覚えた。心の中で[目の前が開けてきたぞ]と囁く声が聞こえた。11 年間、一度も感じたことのない[覚醒]の瞬間だった。やっと、自分の進むべき仕事を発見したのだ」
「木版画の生命線とは、筆では決して表現できない、刃物で彫るからこそ生まれる[鋭い効果]と[明確な強さ]にこそある。それこそが、油彩や日本画と対峙するときの木版画の武器なのだと悟り、[自分は彫刻刀の彫りの強さに賭ける。それがこれからの自分の仕事だ]と決意する。」同年、日本版画協会展に出品した『顔のない天使』が、北海道新聞の 美術記事で[作者の彫刻刀の力がみなぎっている]と評され、初めて確かな手応えを掴む。ここから「顔」をテーマとした表現は「仮面」へと進化を遂げ、翌年には『顔のある樹』で全道展・北海道新聞社賞を受賞する。
1970 年(昭和 45 年)|彫刻家・本郷新との出会いとはげまし
手島の3度目となる札幌での個展に、東京在住で札幌にもアトリエを持つ(現・本郷新記念札幌彫刻美術館)彫刻家の本郷新が 2 年続けて足を運ぶ。
前回のものと新作 50 点を見終えた本郷は、「君はできるひとだよ」と言葉をかけた。それは[作家として独立してやっていける]という意味の、最高のはなむけであった。
さらに本郷はこう続けた。「天才でない努力型の人間には、効率よく毎日仕事ができる[ものを創る手]が大事なんだ。40 歳になったら、昼間の良い時間を制作に充てなければ決して伸びない世界だよ。あんたは明日からでも仕事ができる。だから早く始めたほうがいい」
自身の制作に対するエネルギーそのものを評価してくれたこの言葉は、手島にとって何より嬉しい励ましとなった。
1977 年(昭和 52 年)|専業版画家として生きる
本郷新の言葉に背中を押されてから 7 年。20 年間に及んだ教員生活に区切りをつけ、版画家として独立を果たす。
1981 年(昭和 56 年)|絵本の世界への扉
日本版画協会展に出品した『しまふくろうと流木』が、児童書出版社編集の目に留まり、絵本制作の依頼を受ける。
1982 年(昭和 57 年)|絵本作家として歩み出す
木版画による初の絵本『しまふくろうのみずうみ』を出版。同作で日本絵本賞を受賞し、絵本作家としての歩みを本格化させる。以降、40 年間にわたり毎年1作、計 40 冊の絵本を精力的に発表。その作品群は、アメリカ、ドイツ、スイス、デンマーク、スウェーデン、中国、韓国など世界各国で翻訳され、高い評価を獲得していく。
2021 年(令和 3 年)|40 年目の到達点
第一作の発表から 40 年目。節目となる 40 冊目の絵本『きたきつねとはるのいのち』を制作・出版し、長年にわたる絵本制作活動にひとつの区切りをつける。以降、各メディアから取材を受けたり、講演活動、作品展のサイン会などの活動を続けている。
(『増補改訂版 手島圭三郎全仕事 ~木版画で極めた聖域[原始の森]』絵本塾出版
第2部Ⅷ「解題」手島木版画絵本の隠し味より引用)